神奈川師範学校に赴任。自らの練習に加えて、指導者として後輩の育成にも寄与。
タグ: 1916年あの人は何をしていたか
18歳の田畑政治(1916年)
18歳の時に浜名湾游泳協会の設立に関わる。
静岡県西部地区における水泳の競技力の向上・普及を目的に活動するアマチュアのスポーツ団体。
田畑は浜松中学校(現在の浜松北高校)の4年生の時に、盲腸炎と大腸カタルに罹り水泳選手になる夢をあきらめることになる。
しかし、田畑は水泳をあきらめることができず、指導者の道を歩むことに決めた。
そして、その第一歩として行ったのが浜名湾周辺の中学校水泳部を統括する「浜名湾游泳協会」の設立であった。
中学卒業後は第一高等学校(現在の東京大学教育学部)を経て、東京帝国大学法学部政治学科をに通い、休みがあるたびに浜名湾に戻って水泳の指導をした。
78歳の大隈重信(1916年)
内務大臣・大浦兼武の汚職事件や元老の圧迫により10月に総辞職。
辞職したときの年齢は78歳6ヶ月で歴代総理の中で最高年齢であった。
13歳の知里幸恵
北海道旭川高等女学校を受験し不合格となり、上川第三尋常高等小学校に入学。
22歳の松下幸之助
大阪電灯在職中、電球は自宅に直接電線を引く方式で、電球の取り外しも専門知識が必要な危険な作業であったため、簡単に電球を取り外すことができる電球ソケットを考案する。
54歳の森鴎外
1916(大正5)1月『高瀬舟』『寒山拾得』『渋江抽斎』(~5月)発表。6月『伊沢蘭軒』発表(~1917年)
76歳の渋沢栄一
第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。
37歳のアインシュタイン
反ファシズムの作家、ロマン・ロランと出会う。意気投合した二人は、命がけで平和運動をしている人々を手助けする方法について話し合ったという。