《若い画家》
《自画像》
亡くなる前年に描かれた自画像
《若い画家》
《自画像》
亡くなる前年に描かれた自画像
高校も卒業というときジョブスはLSDを試し、麦畑がバッハの曲を奏でるという幻覚体験をした。
リード大学へ進学。大学時代のジョブズはユダヤ・キリスト・イスラム・アニミズム・太陽神・思想・坐禅・食事・ヒッピー文化に心酔し、裸足で校内を歩き、一時は風呂に入らない時期もあったという。
またかなりの音楽ファンであり、ビートルズやグレイトフル・デッドなどを聴きまくっていた。
ジョブズは大学に半年間通ったが、興味のない必修科目を履修することを嫌がり、「両親が一生をかけて貯めた学費を意味のない教育に使うのに罪悪感を抱いた」ために中退した。
しかし中退後もリード大学のキャンパスを放浪し、コーラの空き瓶拾いや心理学科の電子装置修理で日銭を稼ぎながら、哲学やカリグラフィー(西洋書道)など興味のあるクラスだけを聴講するもぐりの学生として過ごし、合計18ヶ月をリード大学に費やした。
紀行随筆『街道をゆく』を週刊朝日で連載開始
明治の群像を描いた『坂の上の雲』の産経新聞での連載が終了。
また、幕末を扱った『世に棲む日日』で吉川英治文学賞。初期のころから示していた密教的なものへの関心は『空海の風景』に結実されている。「国民的作家」の名が定着し始めるようになり、歴史を俯瞰して一つの物語と見る「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観を築いて人気を博した。
5月 – 佐藤派から田中派が分離独立。
6月 – 『日本列島改造論』を発表。
7月5日 – 佐藤栄作が支持した福田赳夫を破り自由民主党総裁に当選。
7月6日 – 第1次田中内閣が成立。
9月 – 中華人民共和国を訪問。首都北京で周恩来首相や毛沢東共産党主席と会談。9月29日、両国の共同声明により日中国交正常化が実現し、日華平和条約の終了を確認
渡辺貞夫の福岡でのコンサートのスタッフに大学時代のジャズ仲間がいたことから、コンサート終了後、その友人が泊まっていたホテルで終電がなくなる時間ギリギリまで飲みながら話し込んでいた。いざ帰ろうと部屋から出た際、やけに騒がしい一室があり、通りがかり様に半開きになっていたドアから中を覗いた。
室内では、ナベサダのコンサートに同行していた、山下洋輔トリオが歌舞伎の踊り、狂言、虚無僧ごっこなど乱痴気騒ぎをしていた。そこにタモリは乱入する。中村誠一が被っていたゴミ箱を取り上げるとそれを鼓にして歌舞伎の舞を踊り始めた。始発が出る時間まで共に騒ぎ、タモリは「モリタです」とだけ名乗って帰宅。
「この男はジャズ・ファンに違いない」と確信した山下は、博多のジャズバーに「モリタ」という名前の男はいないかと片っ端から問い合わせたという。その後、とあるジャズバーから「喫茶店の変人マスターでは」という情報が入り、タモリと山下は再会することになる。
この時期、タモリは転職して喫茶店のマスターであり、ウィンナ・コーヒーを注文すると、ウィンナーソーセージが入ったコーヒーを出すなど、地元では奇妙なマスターとして有名であった。