66歳の田畑政治(1964年)

東京オリンピックの開催。

日本は開催国であったが、競泳で獲得したメダルは銅メダルの1個だけであった。

この大会の聖火リレーは田畑の考えのもと、ヤンゴン(ミャンマーの旧首都)、バンコク、クアラルンプール、マニラ、の香港(当時、英国統治下)、台北、そして返還前の沖縄を回って日本にやって来た。聖火台に火を灯す最終ランナーに選ばれたのは、広島に原爆が投下された1945年8月6日に生まれた当時19歳の坂井義則さんであった。平和を願っている日本の姿を世界に見てもらおうとしたと言われている