42歳の吉田秀雄

終戦の8月15日、本社二階の広間のラジオの前に集まって、玉音放送を数十名の社員で聞いてた際、「これからだ」 吉田は と大きな声で叫んだという。
鉄かぶと、防空頭巾などをかなぐり捨て、社員の先頭に起って、社内外の清掃をはじめたという。

電通などを中心に「民衆放送」(後の東京放送)開設を申請。
吉田がまとめ役となる