44歳の吉田秀雄

上田3代社長がGHQの改正公職追放令に該当し辞任、吉田秀雄が第4代社長に就任

この年に電通経営の三施策を打ち出していた。その一つが商業放送の設立であった。残る二つは、クリエーティブ技術の向上、マーケティング理論の確立。

吉田が設立準備委員長に就任。商業放送実現の推進をする。

社の資金繰りに悪戦苦闘を強いられる中、ときを同じくして自薦他薦に関係なく、「電通」の社員を募集しつづけた点であった。
しかも、「公職追放」に該当する者を、それを承知で傍系会社まで作って入社させている。 優秀な人材こそが広告界の発展にかかせないという考えがあったという。