42歳のアラン・チューリング

1954年6月8日、家政婦がチューリングが自宅で死んでいるのを発見した。検死の結果、死亡したのは前日で、青酸中毒による死であることが判明。ベッドの脇には齧りかけのリンゴが落ちていた。リンゴに青酸化合物が塗ってあったかの分析はなされなかったが[78]、部屋には青酸の瓶が多数あった。

後年の評価

1966年からACMは、コンピュータ社会に技術的に貢献した人物にコンピューター界のノーベル賞ともいえるチューリング賞を授与している。

1986年、ヒュー・ホワイトモアの戯曲「ブレイキング・ザ・コード」でチューリングが描かれた。1986年11月からロンドンのウェストエンドで公開され、1987年11月15日から1988年4月10日までブロードウェイで興行。1996年にはBBCでテレビドラマ化されている。

1999年、タイム誌の「タイム100: 20世紀の最も影響力のある100人」で、コンピューター創造に果たした役割からチューリングを選んでいる。

2009年8月、イギリス政府に対して、アラン・チューリングを同性愛で告発したことへ謝罪するよう請願活動がをはじまり数千の署名が集まった。 イギリス首相のゴードン・ブラウンはこの請願を認め、2009年9月10日に政府として正式な謝罪を表明。