56歳の小村寿太郎(1911年)

外務大臣として日米通商航海条約を結ぶ。

幕末以降、日本にとって不平等であった条約を改正するためにアメリカと交渉し、関税自主権を回復した。

また、日露協約や韓国併合でも大きな功績を残した。

しかし、この頃になると結核の病状が悪化し、11月に葉山町の別荘で死去。56歳。
墓所は青山霊園にある。