28歳の福澤諭吉

帰国後、「西洋事情」などの著書を通じて啓蒙活動を開始。「理化学・器械学」が特に強調されており、病院・銀行・郵便・徴兵の制度や設備についても言及してある。
薩英戦争が起こったことにより幕府の仕事が忙しくなり、外国奉行・松平康英の屋敷に赴き、外交文書を徹夜で翻訳に当たった。その後、翻訳活動を進めていき、「蒸気船」→「汽船」のように三文字の単語を二文字で翻訳し始めたり、「コピーライト」→「版権」、「ポスト・オフィス」→「飛脚場」、「ブック・キーピング」→「帳合」、「インシュアランス」→「請合」などを考案していった