46歳の吉田秀雄

広告電通賞を制定

学生広告懸賞論文(現学生広告論文電通賞)を制定

商業放送開局の機運を高めるために、電通社内で商業放送・広告放送に関する調査研究を進めさせ、最新動向を全国各地の地方紙に提供、さらに「ラジオ広告研究会」を組織して、広告放送のテスト版を製作し大手広告主に試聴してもらうなど、広告放送について関係者の理解を深める活動も展開するなど商業放送開始に備える。

14歳の赤塚不二夫

母親のわずかな稼ぎでは残った3人の子供を養っていくことが困難であった為、兄弟は父の郷里である新潟の新類縁者にそれぞれ預けられることになり、赤塚は新潟県に住む父親の姉一家の母子家庭に預けられた。
当初新しい学校で差別を受けていたが、全校の図画コンクールで第1席になった。差別意識が強かった級友たちからも、驚きの目でみられたという。