14歳の赤塚不二夫

母親のわずかな稼ぎでは残った3人の子供を養っていくことが困難であった為、兄弟は父の郷里である新潟の新類縁者にそれぞれ預けられることになり、赤塚は新潟県に住む父親の姉一家の母子家庭に預けられた。
当初新しい学校で差別を受けていたが、全校の図画コンクールで第1席になった。差別意識が強かった級友たちからも、驚きの目でみられたという。