33歳の田中角栄 大野市郎や亘四郎の地盤であった(長岡鉄道沿線の)三島郡で支持を広げることとなった。この効果も寄与し、田中は1952年10月の第25回衆議院議員総選挙では初めてトップ当選を果たしている。