49歳の田中正造(1890年) 衆議院議員になる。 第1回衆議院議員総選挙に立憲改進党として地元栃木県3区で立候補し当選する。 この年には渡良瀬川の大洪水で稲が枯れる、いわゆる足尾銅山鉱毒事件が起こる。