39歳の田中正造(1880年)

栃木県議会議員となる。

県議会議員として地方自治に力を入れ、県令(現在の知事)・三島通庸と争う。
5年後には三島の暗殺事件(加波山事件)への関与が疑われ逮捕される。
※加波山事件は自由民権運動の1つ
逮捕されもたものの三島が異動になったことで釈放、1886年には第13回臨時県会で議長となる。