54歳の黒田官兵衛(1600年)

関ヶ原の戦いが勃発。

石田三成と厳しく対立してきた息子の黒田長政は、東軍の将として関ヶ原に参陣、家康とともに西上。

官兵衛は九州にいた。正面からぶつかることはせず、西軍につく不利を説き、説得にあたったものの不発。東軍方に味方し、九州にて西軍方の大友氏や毛利氏と戦う。

武将として、類いまれな活躍をした黒田父子は、筑前一国52万石を与えられる。