62歳の田中正造(1903年)

1903〜1908年にかけて、谷中村の貯水池ならびに藤岡町への合併案に対し抗議し続ける。

谷中村議会は藤岡町への合併を否決するも政府の圧力によって村民は村を出た。正造は村の廃止当日まで村に住み続けた。