60歳の田中正造(1901年) 明治天皇への直訴。 正造は議員を辞職したが、鉱毒被害を訴える活動は継続し演説を行い続けた。 また、帝国議会開院式から帰る途中の明治天皇に鉱毒事件についての直訴したが失敗する。 この時、正造は死を覚悟したと言われているが釈放された。