59歳の田中正造(1900年)

川俣事件の発生。

足尾銅山鉱毒事件の被害者が東京へ陳情(実情を調べ対処してくれと願うこと)しに行こうとした時に、地元の警官隊と衝突した事件。

この事件後に正造は国会で川俣事件に対しての質問をしたが、当時の総理大臣・山県有朋に「質問の意味が分からない」と返される。

川俣事件で逮捕された者は後に全員釈放される。