25歳の福澤諭吉

咸臨丸の従者としてアメリカへ立つ。帰国し、蘭学塾から英学塾へと方針を転換する。この時同行した木村摂津守とは晩年まで親交があった。後に慶應義塾の土地を用意したのも木村であった。
アメリカでは文化の違いに驚きをもった。日本では徳川家康など君主の子孫がどうなったかを知らない者などいないのに対して、アメリカ国民がジョージ・ワシントンの子孫が現在どうしているかということをほとんど知らないということについて不思議に思ったことなどを書き残している。