40歳のフローレンス・ナイチンゲール(1860年)

看護と衛生の大切さを広く一般に伝承することにも力を注ぎ、『看護覚え書(Notes on Nursing)』を出版。
クリミア戦争中に創設された「ナイチンゲール基金」に集まった5万ポンドで、ロンドンの聖トマス病院内にナイチンゲール看護学校が設立され、ナイチンゲールは指導者として後継者の育成に努めるようになる。
これを境に英国各地に同様の看護婦養成学校が作られるようになり、現在に近い看護婦養成体制が整えられる礎となった。