35歳の赤塚不二夫

母親が不慮のガス爆発事故で入院。一命は取り留め一時退院するものの、ショックからクモ膜下出血を発症して再入院となりその後容態が急変するも赤塚の懸命の呼びかけで再び息を吹き返すが、脳死状態となり8月20日に59歳で死去した。[21]この年に妻と別居状態となり、12月にはスタジオ・ゼロが事実上の解散となった。