33歳の源頼朝(1180年)

後白河法皇の皇子・以仁王から平家追討の令旨(命令書)が届く。

京都の宇治で以仁王が敗死したことで、頼朝はしばらく動かなかったが、平家が源氏追討を企てたことで挙兵を決意する。

しかし、相模国真鶴(現 神奈川県小田原市)で平家方に敗れ、安房国(千葉県南部)に逃れた。

安房国へ逃れたものの、房総半島に勢力を持っていた上総氏や千葉氏を配下にし、さらに武蔵国でも配下を増やすと鎌倉へ向かう。

そして、平維盛(清盛の孫)を富士川の戦いで破った。

さらに、全国各地の源氏が平家打倒のため挙兵する。