33歳の陸奥宗光(1877年)

西南戦争が勃発。

この時に、陸奥は西郷隆盛に呼応し政府転覆を謀った土佐立志社の林有造らと連絡を取っていたことが発覚し、禁固5年の刑を受けて山形で投獄される。

投獄中には妻・亮子に手紙を送るほか、英国の哲学者ジェレミ・ベンサムの著作の翻訳にも打ち込む。