12歳の赤塚不二夫

帰国後、貸本屋で5円で漫画を借りて読むようになり、このとき手塚治虫の『ロストワールド』に出会ったことで漫画家になることを決意。見よう見まねで手塚風の漫画の執筆に没頭。
12歳になると『ダイヤモンド島』というSF長編漫画を描き、母親と一緒に出版社へ最初の持ち込みを行ったが失敗。

19歳の赤塚不二夫

父親の友人の紹介で就職した東京のエビス化学工業所という化学薬品工場に勤務しながら『漫画少年』へ投稿を続けた。その漫画が石森章太郎(後の石ノ森章太郎)の目に留まり、石森が主宰する「東日本漫画研究会」が制作する肉筆回覧誌「墨汁一滴」の同人に参加。仲間が増えた。

40歳の赤塚不二夫

1975年「元祖天才バカボン」が日本テレビ系列で放映開始。
この時期には漫画家としては最も多忙を極め、週刊誌五本、月刊誌七本の同時連載をこなす一方で長谷邦夫の紹介によりタモリと出会う。

49歳のトーマス・エジソン

自動車王のヘンリー・フォードと出会う。
当時はフォードはエジソン電灯会社の社員であった。フォードが発明したばかりのガソリン自動車の説明をすると、エジソンはテーブルを拳で叩いて喜び、フォードを励ました

40歳の勝海舟

坂本龍馬と出会う

神戸に海軍塾を作り、薩摩や土佐の荒くれ者や脱藩者が塾生となり出入りしたが、海舟は官僚らしくない闊達さで彼らを受け容れた。この時の塾頭が坂本龍馬。
この後神戸海軍操練所も設立。
海舟は「一大共有の海局」を掲げ、幕府の海軍ではない「日本の海軍」建設を目指すが、保守派から睨まれて軍艦奉行を罷免され、約2年の蟄居生活を送る。
海舟はこうした蟄居生活の際に多くの書物を読んだという。 海舟が西郷隆盛と初めて会ったのはこの時期。この時の西郷との出会いが後の無血開城につながったのかもしれない。

28歳の坂本龍馬

1862年

脱藩をする。

当時、それは自分の家族にも危険がおよぶかもしれない危険な行為だった。

この年に寺田屋事件がおきる

勝海舟に面会し、弟子入りをする。
この出会いが時代が動く大きなきっかけとなる。