40歳の勝海舟

坂本龍馬と出会う

神戸に海軍塾を作り、薩摩や土佐の荒くれ者や脱藩者が塾生となり出入りしたが、海舟は官僚らしくない闊達さで彼らを受け容れた。この時の塾頭が坂本龍馬。
この後神戸海軍操練所も設立。
海舟は「一大共有の海局」を掲げ、幕府の海軍ではない「日本の海軍」建設を目指すが、保守派から睨まれて軍艦奉行を罷免され、約2年の蟄居生活を送る。
海舟はこうした蟄居生活の際に多くの書物を読んだという。 海舟が西郷隆盛と初めて会ったのはこの時期。この時の西郷との出会いが後の無血開城につながったのかもしれない。