25歳の新渡戸稲造(1887年)

ドイツに留学する。

ジョンズ・ホプキンス大学を中退し、官費(政府の費用)でドイツに留学する。
ドイツではハレ大学に入学し農業経済学の博士号を得る。

稲造はアメリカでの留学で、農業と経済は関係していると考えていた。

46歳の伊藤博文

井上馨を外務大臣として条約改正を任せたが、井上馨が提案した改正案に外国人判事の登用などを盛り込んだことが問題になり、閣内分裂の危機を招いたため外国へ向けた改正会議は中止、9月に井上馨が辞任したため失敗に終わった、同年6月から夏島で伊東巳代治・井上毅・金子堅太郎らと共に憲法草案の検討を開始