桜井和寿の名言・格言

桜井 和寿(さくらい かずとし、本名:櫻井 和寿(読み同じ)、1970年3月8日 – )は、日本のミュージシャンであり、Mr.Childrenのボーカリスト、ギタリストである。

東京都練馬区出身。アマチュア時代から一貫してMr.Childrenの楽曲の殆どの作詞、作曲を手掛けている。 2004年からはBank Bandとしても活動
トータルセールス(CD総売上枚数):5,861.6万枚(2015年2月時点・歴代2位)

桜井 和寿の名言・格言

何かのせいにするのではなく、発想を転換することでポジティブに、明るくなれる。それを提案みたいな感じでやっている。それが今のミスターチルドレンの音楽だと思う。

昨日の自分より、今日の自分を好きになれれば良いと思う。

幸福になりたい”っていう言葉を使っているうちはいつまでも幸福じゃないんじゃないかと。でも至福は至っているわけで、今ある状態で自分は十分に幸せだと思えていることが至福ということですね。

事件とか悲しいニュースの責任追及をするのではなくて、自分の内面にもその責任や原因の一端があるんじゃないかということを常に意識していたい。

人は簡単には理解しあえないそれでも僕は伝えたい

こうやって明かりを消すことによって普段は見えない何かが、見えてくると思うんです。

『あきらめる』とは『明らかに見極める』。

僕は笑者でありたい

幼少期の桜井和寿

桜井和寿 1970年3月8日東京に生まれる

勉強はできなかったが、親は勉強については文句を言わず、
教育方針は、「何か一つみんなより自信を持って
優れていると言えるようなものを身につけろ」ということだったという。

体育だけは一生懸命。
音楽は女がやるものだと思い込んでいて、
音楽の時間に絶対に歌わない姿勢を貫き、
音楽の先生から往復ビンタ20発ぐらいくらったけど、
それでも歌わなかったという。

「ROCKIN’ON JAPAN1995年2月号:桜井和寿インタビュー」より

13歳の桜井和寿

中学校時代
悪いグループに入っていたが、
「万引き」など命令する番長が嫌で、グループを抜けるために、
交番に行き「僕は万引きをしております」といい、
それで家に知られて、悪グループから抜けた。

その頃にギターを始めた。
友達のお兄さんがエレキギターを持っていて、「かっこいいなあ」と思った。姉が使っていないフォークギターをゆずりうけた。
「禁じられた遊び」を単音で弾いていたら、お姉さんがバカにして、
「あんた天才じゃないの?」と言ったのを真に受けた。

16歳の桜井和寿

高校受験を考える中3になった時、軽音楽部がある高校を選んで受験。
関東高校(現聖徳学園高校)に入学
入学後すぐにできた彼女がキーボード、現在MrChildrenメンバーの中川がベース、田原がギター、桜井がギター&ボーカルでバンド「Beatnik」結成(後のMr.Childrenとなる)。初のオリジナル曲「クリスマスナイト」を製作

彼女ができたことですごく自信になり、
自分の性格や考え方がガラっと変わったという。

「音楽と彼女の二つのことだけを一生懸命やった」

高校1年の時から「プロを目指してやって行こう!」と思い、オーディションにテープを送っていた。

田原と彼女めぐって三角関係になり、中川が仲裁したこともあるという

18歳の桜井和寿

1988年(昭和63年)、コンクールのテープ審査を通過したがライヴ審査前にドラマーが脱退。田原、中川の中学時代の同級生で他のバンドで活動していた鈴木英哉の元へ桜井が審査用の曲が入ったテープを持ち込み、ライヴ審査当日までという期限付きの約束で代役を頼んだ。後日、正式なバンド加入を依頼して鈴木が承諾。現在のメンバーとなる

19歳の桜井和寿

1989年1月1日から「Mr.Children」に改名
当時4人は「チルドレン」という言葉の響きを気に入っていて、イギリスのバンド「THE MISSION」が1988年に発売したアルバム『CHILDREN』や、バンド「The Railway Children」、世界中の飢えや貧困に苦しむ子供を写したロバート・キャパの写真集『戦争・平和・子どもたち』など、好きなものに「チルドレン」含む名称が多かった。ただ、大人になった後も「Children」のままでは如何なものかと思い、正反対の「Mr.」を付けて年が明けた1989年1月1日から使用した。

21歳の桜井和寿

11月に小林武史と初対面。後に小林はMr.Childrenとの初対面時を「(雰囲気が)暗いし、演奏も決して上手くは無かった」と回想している。
桜井は「曲の事に関して『こんなにシビアな人は鬼か!』と思ったことも」
と語る。

22歳の桜井和寿

アルバム『EVERYTHING』で「Mr.Children」としてメジャーデビュー。

この頃から100万枚売るというのが心の中にあったという。
ブレイクするきっかけはタイアップにあると考え、
レコード会社に「タイアップ取ってくれ」とも言ったという。

タイアップの世の中だった時代、「『だったら15秒の中で俺も勝負してやる』」と、秒数測って曲を書き、15秒の中で活きる曲をプールしておいたという。

初のシングル局「君がいた夏」
セカンドシングル「抱きしめたい」をリリース

23歳の桜井和寿

ブレイクするきっかけとなった、4thシングル「CROSS ROAD」をリリース

この頃についての発言

「『今はミスターチルドレンが好き』なんつってる人がいても、
どうせ飽きるんだったら、新しいとこ(今までと違う年代のリスナー)を目がけてやった方がいいじゃんっていうのは思いますよね」

「やっぱり消費されて行くのはしょうがないし、でも誰かの気持ちの中に残るだろうっていう風には信じてやってますけど」

31歳の桜井和寿

優しい歌
youthful days
リリース

TBSの開局50周年プロジェクトとして坂本龍一が呼びかけ、地雷撲滅を訴えかけるチャリティー企画ユニット・N.M.L.に参加。テーマ曲「ZERO LANDMINE」が発売され、CDの売り上げは地雷除去のために全額寄付

32歳の桜井和寿

君が好き

Any

HERO

リリース

7月小脳梗塞により入院加療中と報道され、約半年の間ライブツアーを含めた音楽活動を全て休止。
12月21日、病気療養から復帰、音楽活動を再開し、一夜限りのライブ「TOUR 2002 DEAR WONDERFUL WORLD IT’S A WONDERFUL WORLD ON DEC 21」を成功させる。