57歳の犬養毅(1913年)

第1次護憲運動が起こる。

第1次大隈内閣の総辞職後、陸軍出身の山県有朋や桂太郎らが総理大臣となると軍政が強くなる。
中でも、1900年に第2次山県有朋内閣で制定された軍部大臣現役武官制によって、軍部大臣に現役武官の中将・大将が務めることになると、軍政・藩閥政治が強くなり政党政治は衰退することになった。

そんな中、1910年に政治改革と立憲主義を主張していた立憲国民党が結成されると、1913年には犬養毅が党首となる。

そして、犬養毅は立憲政友会の尾崎行雄と協力し護憲運動を展開、第3次桂内閣を約2ヶ月で総辞職させた。

この時の活躍によって、犬養毅と尾崎行雄は「憲政の神様」と呼ばれた。