35歳の津田梅子(1900年)

女子英学塾の開校。
※後の津田塾大学

アメリカから帰ってきた津田梅子は明治女学院や女子高等師範学校に勤めるほか、女性が学校へいけるように支援する。

そして女子英学塾を開校すると、行儀作法の女子教育(花嫁修業など)ではなく自由な授業を行った。
また、資金援助が少なかったことから経営は苦しかったものの社会法人とした。