28歳のエイブラハム・リンカーン(1837年)

1837年スプリングフィールドで、州内で指折りの法律事務所「ジョン・トッド・スチュアート」に入所。弁護士活動も始める。
当時、すでに政治家としては州のホイッグ党を率いる神童的指導者として評判を得ていた

同僚たちのリンカーン評
「彼は悲しげな顔つきをした男で、陰気で、メランコリックだった」(ウィリアム・ハーンドン)
「持って生まれたメランコリーで、意気消沈の発作に陥りやすかった」(O・H・ブラウニング)
「メランコリーが常態で、時にそれが際立ち、時に極めて穏やかになったが、消え去ることはなく、一抹の悲哀感が残った。それを消し去るのが笑顔で、これは頻繁に見られた」(ジェイムズ・リーメン二世)

以降4年間、ジョシュア・スピードという青年と同居していた。