15歳の新渡戸稲造(1877年)

札幌農学校に入学。

15歳となった稲造は当時唯一博士号を授与できる高等教育機関であった札幌農学校(現在の北海道大学)に入学する。

札幌農学校在学時に食堂に「右の者、学費を払うべし」という張り紙が貼られた時に、稲造は「俺の生き方を紙切れで決められてたまるか」と叫び、その紙を破り捨てて退学一歩手前までいったという。

在校中に札幌丘珠事件(日本史上4番目に大きな被害を出した獣害事件)が発生した際には捕らえた羆を解剖した。

卒業後は北海道庁に採用され、イナゴの異常発生の研究・対策をした。