39歳の田中角栄

第1次岸信介改造内閣で郵政大臣に就任。

戦後初めて30歳代での大臣就任。テレビ局と新聞社の統合系列化を推し進め、その強力な権力と指導力により、現在の新聞社 – キー局 – ネット局体制の民間放送の原型を完成させる。その過程で官僚のみならず報道機関も掌握した。特に民放テレビ局の放送免許(とりわけ地方局の免許)を影響下に置いたことは、その後の田中の飛躍の原動力になった。

72歳の正力松太郎

第1次岸内閣改造内閣で国務大臣(国家公安委員会委員長、科学技術庁長官、原子力委員会委員長)に就任。

また、自民党総裁になることも考えていた正力は渡邉恒雄を参謀の中曽根康弘との連絡役に起用していた。