76歳の犬養毅(1932年)

五・一五事件が起こり暗殺される。

犬養毅は高橋是清を大蔵大臣し積極財政を推し進め世界恐慌に対応した。

また、満州事変に対しては、軍部の主導で満州国を建国することに反対し、中国国民党の蒋介石と外交交渉での解決を目指す。
ただ、膨大な軍事費を出していることから軍部との関係はそれほど悪くなかった。

しかし、5月15日に日本を変えたいと思っていた海軍の青年将校と陸軍の士官候補生によって、襲撃され暗殺される。享年76。

犬養の死後、日本は軍部の独裁ならびに挙国一致内閣となっていった。