53歳の榎本武揚(1889年) 大日本帝国憲法の発布式で儀典掛長を務める。 また、文部大臣・森有礼が暗殺されると逓信大臣から文部大臣に就任する。 第1次山県内閣では文部大臣に留任する。 また、明治天皇より道徳教育の基準策定を命じられていたが、取り組まなかったため更迭される。