46歳の小村寿太郎(1901年)

第1次桂内閣で外務大臣に就任。

外務大臣としては日英同盟の締結(1902)や日露戦争後のポーツマス条約(1905)を成功させている。

また、アメリカの実業家であるハリマンが満州での鉄道経営を日米共同経営という提案をしてきた際には、桂太郎総理が共同経営を推す中、寿太郎は反対しアメリカのと共同経営を拒否させた。