38歳の清水次郎長

甲州における出入りにおいて役人に追われ、逃亡先の尾張国名古屋で一帯を取り仕切る保下田久六の裏切りに遭い、女房のおちょうを失う(逃亡先で病死)。
1859年には尾張知多亀崎乙川において久六を急襲し、殺害。

久六を殺害された子分・博徒ネットワークは黙っていない。「昼伏夜行」で次郎長一派は尾張からの脱出を試みる。大政、石松などを連れ、甲州上州、越後、加賀、越前、さらに四国へと長い逃避行。