36歳の黒田官兵衛(1582年)

毛利方の備中高松城を攻める。

この城攻めでは秀吉が水攻めを行うが、堤防を築いて水をせき止めるという最初の策を失敗するが、官兵衛が考案した船に土嚢を積んで沈める策で水攻めが成功する。

6月に本能寺で織田信長が死亡(本能寺の変)。
官兵衛は毛利家との和睦を秀吉に進言し中国大返しを成功させる。

山崎の戦いでも活躍し羽柴軍を勝利に導く。