36歳の大隈重信(1874年)

オーストリア=ハンガリー帝国でウィーン万国博覧会が開催。

日本の公式初参加となったこの万博で、重信は博覧会事務局の総裁を務めた。
日本は神社や日本庭園を造営、浮世絵や工芸品を展示した。

大久保利通とは対立していたものの、征韓論論争や西南戦争(1877)の祭には大久保利通についた。
※大久保政権下では財務を担当し「大隈財政」と呼ばれた