34歳のクリストファー・コロンブス(1485年)

西廻りアジア・ルート案がポルトガル王ジョアン2世に拒否され、スペインへの移住を決意。

ポルトガルのフランシスコ会の推薦状を携えて、パロスのラ・ラビダ修道院を訪ね、修道士ファン・ペレス・デ・マルチェーナス(スペイン女王イザベル一世の聴罪司祭)の知己を得る。

同修道士の紹介により、イザベル一世に航海計画案を具申する機会を与えられた。