32歳の榎本武揚(1868年)

戊辰戦争の勃発。

武揚は幕府方として参戦し、大坂城から江戸城への撤退を指揮した。
徳川慶喜が新政府軍への恭順を図る中、武揚は徹底抗戦を主張した。
しかし、江戸城の無血開城(4月)や奥羽越列藩同盟の崩壊などもあり、旧幕府軍は次第に劣勢になっていく。

武揚ならびに旧幕府軍は北上し、蝦夷・箱館の五稜郭に籠城し新政府軍を迎え撃つ(箱館戦争)も、1869年6月27日に降伏した。
※箱館戦争では新撰組副長・土方歳三も戦死している