31歳の金栗四三(1922年)

1922年(大正11年)5月21日 『七大学駅伝競走』を福島県須賀川市で開催。この時、早稲田大学からは「河野一郎」「河野謙三」らが参加している。「河野一郎」は戦前戦後の政治家で、後の河野太郎外相の祖父。
大会前日の夜、金栗四三は「マラソンと体育」という題で講演を行い、「正しく練習する」ことの重要性と「女性の体育」の重要性を説き、満場の聴衆は感銘を受けたという。

『運動の基調となる体格の点についての根本問題として、私は婦人の運動を是非とも奨励したいと思っている』