31歳のカール・マルクス

『新ライン新聞』を創刊し、各地で革命を煽動するも、いずれも鎮圧される。
また文無しとなる。
イギリスにうつり、極貧生活を送る。
貧困地区での生活は不衛生で、病が流行していたので、マルクス家の子供たちもこの時期に三人が落命した。その葬儀費用さえマルクスには捻出することができなかった。
借金取りや家主が集金に来るとマルクスの娘たちが近所の子供のふりをして「マルクスさんは不在です」と答えて追い返すのが習慣になっていたという
それでもマルクスは毎日のように大英博物館図書館に行き、そこで朝9時から夜7時までひたすら勉強している。