30歳の大隈重信(1868年)

明治維新がなされると、徴士参与職と外国事務局判事に任ぜられる。

キリスト教禁令についてイギリス公使のハリー・パークスと交渉する。
この時、パークスの「信者を解放し、信教の自由を認めよ」という抗議に、31歳の重信は「国際法で禁止されている内政干渉だ」と反論、さらに「キリスト教(とくに欧州)は戦乱の歴史である」と続け、今の日本で急速なキリスト教解放をすると混乱が起きると主張しパークスを説得した。