26歳の犬養毅(1882年)

大隈重信が党首を務めていた立憲改進党に入党。

大隈重信の参謀役として活躍するほか、大同団結運動に参加し軍閥や財閥を批判した。
※大同団結運動とは帝国議会を開設しようとする自由民権運動の一派

また、東京専門学校(後の早稲田大学)の第1回議員にも選出される。