24歳のアインシュタイン

友人のマルセル・グロスマンの父親の口利きでベルンの、スイス特許庁に3級技術専門職(審査官)として就職した。年俸は3,500スイス・フランであった。ここで好きな物理学の問題に取り組む自由がたっぷりでき、特許申請書類の中のさまざまな発明理論や数式を知る機会を得る。

この頃、「アカデミー・オリンピア」を設立した。同じ頃、父親ヘルマンが死去する。

ミラノで埋葬を済ませると、再びチューリッヒに戻り、間もなくしてベルンに移った。