23歳の黒田官兵衛(1569年)

青山・土器山の戦いが勃発。

龍野城主・赤松政秀が3000の兵で姫路城へ侵攻してくる。
この戦いで黒田軍は300程度しかいなかったが、英賀城城主・三木通秋の援軍もあり、なんとか赤松軍を撃退する。
しかし、重臣の井手友氏(叔父)・母里小兵衛・母里武兵衛(官兵衛の幼なじみ)が戦死した。