20歳のロバート・キャパ

ユダヤ人排斥が激しくなり母と弟はアメリカへ亡命した。フリードマンもベルリンを脱出しブダペストでヴェレシュ旅行社のカメラマンとなる。翌年にフーク・ブロック通信社の臨時雇いとなる。

その後フランスのパリに拠点を構えたものの、フリードマンの写真はほとんど買ってもらえず、わずかに売れた場合でもひどく安値で、まともに生活できるほどの生活費が得られない状態だった。あまりに困窮したため、同時期にパリに在住していた川添浩史のアパルトマンに入り込む。親しく交流し、彼らに金を借りてライカを買ったという。パリ在住の日本人らと交流し、キャパの恋人であるゲルダが使ったペンネーム「ゲルダ・タロー」は当時パリに在住していた岡本太郎にちなんだものとされる。