18歳の手塚治虫

学生である手塚は戦時中に描き溜めた長編の中から『幽霊男』(『メトロポリス』の原型)という長編を選んで描き直し、毎日新聞学芸部へ送った。
これは音沙汰無しに終わったが、その後、隣に住んでいた毎日新聞の印刷局に勤める女性からの紹介で、子供向けの『少国民新聞』(現在の毎日小学生新聞)学芸部の程野という人物に会い、彼の依頼を受けて『少国民新聞』の大阪版に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』を連載(1946年1月1日 – 3月31日)、この作品が手塚のデビュー作となった。

上京した際には漫画映画製作会社「芦田漫画製作所」(芦田巌)に出向いて採用を志願したが断られている。当初、漫画は手塚にとってアニメ-ション制作の資金を得るための手段だった。