17歳の伊達政宗(1585年)

5月~8月中に隣接する蘆名氏と大内氏を攻める。
※小手森城の城内の者をことごとく撫で切りにする(近隣への見せしめ)

この時に、降伏した二本松義継によって父・伊達輝宗が拉致される。
政宗は義継を追い、阿武隈川付近で父と義継を銃撃する。
※政宗の父殺しの陰謀とも言われている

父の葬儀後、父の弔い合戦として二本松城を包囲するが、11月に二本松の援軍としてきた南奥州諸侯連合軍によって大敗する(人取り橋の戦い)。