16歳の大隈重信(1854年)

16歳頃になると、『草隠』を基とした教育方針に疑問を持つようになる。
※『草隠』とは佐賀藩に伝わる武士道の精神を説いたもの

重信は学友とともに藩校の改革を訴え、翌年には南北騒動を起こし退学処分に処される。

この頃には藩校の教諭・枝吉神陽から国学を学び、江藤新平らと尊皇派の「義祭同盟」に参加する。

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