15歳の清水次郎長

1834 年、山本の家に戻った。養母のへそくり450両を盗み、江戸を目指す。次郎八が追ってを出し、捕まえるが次郎長は300両しかもっていなかった。その100両について何も答えないところをみて、次郎八は次郎長を放逐した。

次郎長はどうやら捕まることをみこして、100両強を隠していただようだ。その金を持って服を新調し、浜松の米相場を貼り、巨利を得た。

その巨利をもって清水に凱旋し、100両と玄米50石を次郎八に渡し、勘当も解かれた。

養父の次郎八は1835年に死去。次郎長は甲田屋の主人となる。

次郎長は妻帯して家業に従事するが一方では博奕を行い喧嘩も繰り返している。